1998年 12月28日〜31日深夜 

東京→静岡間200Km野宿マラソン1人旅

この旅は邦蔵の原点ともいえる旅である。

邦蔵大学2年生。
20歳の冬。

それは大きなチャレンジだった。

はじまりはこの年の秋。
多くを語ることは出来ないが、邦蔵にとってショッキングな出来事があり
完全に自分に対する自信を失っていた。

その頃、今井雅之さんの著書『若いぼくらに出来ること』を読んだ。
東京から大阪まで野宿で走破したという今井氏。
その他にも強い意志を貫き、突き進んだ数々の話に強い衝撃を受けた。

この本がきっかけになった。
自分は人生で何か成し遂げたものがあるのか?
何か大きな目標をやりとげて自分の自信へと結び付けたかった。

何かをやらなければ・・・
そこで考えついたのが
東京から静岡までの200Km野宿旅である。
一日当たり50Kmを走破し、4日間で静岡の実家にたどり着くという計画を立てた。
12月28日に東京を出て、大晦日までにゴールを目指す。

邦蔵は高校時代陸上部長距離に所属していたこともあり
ゆっくり走れば一日50Kmは行けるだろうと思っていた。
乗り物は絶対使わないことが条件。
基本ルートは国道1号線。


当日までは何度か練習をして、ついに出発当日を迎えた。

当日朝。
大学2年までは大学内に
ある寮にいた。写真は寮の部屋内。
バナナで炭水化物を補充して
出発に備える。
出発地は東京都調布市。
寮の玄関を出たところから
旅はスタートした。
寮の前にて。
12月28日朝。
さすがに寒い。
スタート!
テントはさすがに背負って
走れないので寝袋を2枚。
リュックには必要最低限の
ものを入れたのだがそれでも
重さ10Kgあった。
走り始めるとすぐに肩への負荷で
痛みが。
足の疲れよりも肩に来る荷物の
重みとの戦いのほうが大きい予感
友人が自転車で途中まで
ついてきてくれた。
ありがとう。

写真は神奈川県に入るところ。

基本的に歩道を走るが
車の排気ガスには相当苦しむ。
一日目。野宿場所。
一日目は小田急線の
渋沢駅近くで野宿することに決定。

野宿と一言で行ってもなかなか
適度な場所があるわけではない。
場所を探すといっても自分の足で歩くか
走るかしか方法はなく場所を探すだけでも
足の疲労は限界になる。

一日目は民家の横の公園で芝生の上に
そのまま寝た。
いま思えばよくこんなとこに寝れたものだ・・・。
朝起きると夜露で寝袋が濡れていた。
二日目。
本当は一日目の目標であった小田原駅に
昼過ぎに到着。

昼は定食屋に入った。
昼真っからおじちゃん達が日本酒飲んで
盛り上がってる庶民的な定食屋だった。

その後、小田原城に到着して休憩。

二日目にしてかなりの疲労は蓄積されて
いたのだが、小田原城に行ってびっくりしたのは
敷地内にさりげなく動物達がいて
城の横にはなんと象がいたのである。

動物園というわけではないのだが
象を見ながら休憩していたらすこしウトウトした
邦蔵であった。
二日目は、最大の難所である箱根を
越える。

高校時代のあこがれであった箱根駅伝。
邦蔵はその箱根の山を自分で越えてみたかった
ということもあった。

箱根の山は険しかった。
山の中でなんと日が暮れはじめる。
これは誤算だった。山の中での野宿は避けたい。
途中から外灯も家もほぼ無くなり、車も通らなくなった。
真っ暗な中、懐中電灯のみが頼り。

一人きもだめしツアーだなこれは・・・。
真っ暗な中、途中でお茶屋があり
そこで甘酒をいただく。

これがおいしかった。

そして二日目は、芦ノ湖に辿り着いたので
泊まれる場所を探す。神社とかお寺という手も
ありかな〜、と考えていたのだが芦ノ湖のほとり
のバス停がドア付きの待合所があったためその中で
寝ることにする。寒さも防げるし、朝の始発バスが
到着するまでは問題なさそうだし。

近くに1000円で入れる温泉がたくさんあったので入った。
温泉って最高だな〜
3日目
二日目も早朝からスタート。
写真は美しき富士山。

しかし3日目はこの富士山を恨みたくなった。
箱根の山を下り、ひらすら国道一号を進むのだが
富士と沼津はずっと横に富士山が見えるため
まったく進んだ気がしないのだ。
道路も永遠と真っ直ぐで・・・・・

この時ばかりはさすがに富士山を見ていられなくなった・・・
3日目からは相当足の痛みが増してかなりきつくなってきた。ほとんど走ることができない。
歩いてとにかく距離を確保するしかない。3日目は市外地で野宿ポイントが見つからず非常に苦労した。
最終的に新蒲原駅の待合室に寝ることにした。
4日目。 ついに大晦日を迎えた。体力的に実家までの距離と時間を考えるとかなり厳しい。
ひたすら歩いて、由比の海岸沿いも相当長く感じた。だが海を見るとやっぱり気持ちが和む。
夕方16時ごろ静岡駅を通過。東京から自力で辿り着いて静岡駅を見たときには感慨深いものがあった。
しかし邦蔵の実家がある島田市までは静岡駅からさらに30Kmの道のりだ。まだまだ先は長い。
とにかく先を急ぐ。海沿いを行くことにして焼津の大崩海岸を進む。これが相当厳しかった。
人が歩くような場所では無いしUPダウンも激しかった。。。
焼津付近にて実家に電話。母親には内緒で旅をしていたので、歩いて実家に向かっていることを告げると
かなり驚いていた。迎えに行くよ! とか言い出すし(笑)。残りはあと少し。自力でゴールしなくちゃ。
藤枝市にさしかかり高校時代の通学路に出た。あともう少しだ。俄然やる気が沸いてきた。
しかしこの時点で日付は1999年1月1日を迎えていた。マラソンしてる最中の年越しだった。
人生でこんな体験は初めてだった。当たり前だけど。
そして深夜2時ころついに自宅玄関にゴールした。東京から自宅までの約200Kmを自分の足だけで走破できた。

途中はほんとにくじけそうになった今回の旅であった。子供用の自転車でも3輪車でもいいから乗りたくなるほど
追い詰められたが(笑)、なんとか乗り切ることができた。
こうして邦蔵の野宿旅200Kmは無事に終わった。すさまじい筋肉痛を味わいながら正月を過ごし初詣をして
また東京の大学生活へ戻った。

この旅を通して得た達成感は大きいものがあった。人生で初めて困難な大きな山をクリアできたと思う。
『やれば出来る』という自信は、次の旅へとつながるものであった。

1998年の11月には当時所属していた大学の演劇サークルの部長になったばかりであった事も
この旅へのチャレンジの理由の一つであった。この旅の経験が精神的な助けとなって約一年間がんばることが
できたように思う。
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